日本の国はここがおかしい

将来の希望を失いつつある日本、国民が安心して生活できる国になるにはどうすればいいか

男女の役割分担を差別とし、同じく働くことを要求する社会で家庭は存在しえない。

マルクス・エンゲルスの考えの一つに、下部構造が上部構造を規定する。というものがある。現在ではこの考えは否定されることが多いが、当てはまるケースも多く存在する。

 

現在の孤独老人問題などはその例である。老人の孤独死が多いのは、老人が一人で生活することを余儀なくされているからである。この原因は子供やその配偶者が親と同居することを嫌うというような心理的要因によるものではない。

 

元々、大家族で親子三代が同居するのがあたりまえだった時代、職業は家の家業であった。家族が協力して働くことで家業が成立していたのであり、親子が労働を機に別居することは稀であった。老人のほとんどは子や孫にみとられながら死ぬことができた。

 

しかし、現在においては親も子も別々の企業に雇われることが常態であり、同居する必然性は無くなり、子供が一人前になる時点で親子は完全に経済的にも地理的にも分離されることになった。親子が同居するには一定期間別居した後再び同居することが必要であった。

 

これが孤独死する老人が増加した原因の第一である。

 

夫婦で成り立つ家庭も現在これと同じ危機に直面している。そもそも結婚により結成される家庭は元々家という制度を存続させることを目的としていた。

 

家制度がその実態を失った後も、つい最近まで家庭は男女役割分担しながら生活する場として機能していた。すなわち男は外で働き生活費を稼ぎ、妻は家で子育てし夫が外で働くように支える、というものである。

 

これは家庭というものが成立する上で最も合理的な役割分担であることは否定できない。男は家庭を妻に任せ心置きなく外で働くことができるし、女性は生活を気にすることなく子育てすることができる。

 

しかし、現在は女性を低賃金労働者として活用したい企業の都合と、家庭に閉じこもることを良しとしない女性の意識変革により、男女の役割分担を是とする考えは否定され、男女は平等であるべきであるという考えが主流である。また政府も労働力不足を背景に女性に対して労働者としての役割を期待している。

 

男女共外で働き、家では協力して家事や子育てをするというのが、現在の家庭の理想形である。しかし、安倍政権が推奨するこの理想形には隠されていることがある。

 

それは女性を補助的労働者と位置付けていることである。男女が完全に平等に働くなら、男女が同じ場所に住み働ける保証は何もない。

 

男女同居を前提に共働きするということは、大抵の場合女性の方が補助的な仕事につくことを前提としている。女性も社会的責任のある高度な仕事に従事していれば、当然転勤は避けられず転勤すれば夫と同じ家で住むことは不可能である。

 

男女の役割分担を否定し、完全な男女平等社会が実現するならば、そこに男女が同居する家庭というものは存在しえない。