日本の国はここがおかしい

将来の希望を失いつつある日本、国民が安心して生活できる国になるにはどうすればいいか

信仰の自由は宗教が相対化されていないと成り立たない。EUでの移民増加は社会の危機

日本のような国から見ると信仰の自由は不変の真理であり世界中で受け入れられているかのように見える。しかし、世界では自分の信じている宗教こそが唯一のものであることを信じて疑わない者の方が圧倒的に多い。

 

その生活のすべてが宗教的な規範にのっとって実施されているような者にとってはそれ以外の宗教を受け入れる余地はない。多神教であればまだ他の宗教を受け入れる余地はあるが一神教においては他の宗教を受け入れる余地はない。

 

ヨーロッパにおいて信仰の自由が一般的になったのは、長く続いた宗教対立と戦争に加え科学の発展により宗教の絶対性が揺らぎ、宗教とは別の自由・平等・人権という人間中心の価値観が支配的になり、宗教が相対化されたからである。

 

欧米が圧倒的な力をもっていた時代は、西欧的な価値観が世界の普遍的な価値観としてみなされてきたが、欧米の力が減退し相対化されるにつれ、欧米的価値観そのものも絶対的な価値観としての地位を失ってきている。

 

特に、近代的な宗教改革を経ないまま現在に至ったイスラム教や、現代に至るも宗教的教義の絶対性を主張するキリスト教ユダヤ教の一派が影響力を増している。

 

EU諸国がEUとしての統一性を維持できるのは宗教的価値を相対化しているからであり、その中に宗教的価値を絶対視するイスラム教徒が増加することはEU的価値観の崩壊を導くことになる。

 

人道的な価値観はEUの中核をなすものではあるが、安易なイスラム教徒の受け入れは混乱をもたらすだけだろう。