日本の国はここがおかしい

将来の希望を失いつつある日本、国民が安心して生活できる国になるにはどうすればいいか

貧困が増えると寛容さがなくなり社会が荒れる

ネット上では様々な炎上が発生し、道路ではささいなことであおり運転が多発している。ちょっとしたミスや不注意が大きなトラブルを生み思いもよらぬ大きな災いをもたらしている。

 

この直接的な原因は日本からゆとりが失われ他人に対する寛容さがなくなっているからである。子供の声がうるさいと学校や保育園に文句を言ってみたり、電車の中の赤ちゃんの泣き声に過剰な文句を言ったり、店員のちょっとしたミスに土下座を強要するのはそのあらわれである。

 

20世紀に総中流と言われた日本人は弱者や子供、他人のちょっとした間違いにもっと寛容であった。

 

20世紀の日本人と現在の日本人の大きな違いは将来への展望の違いにある。

 

20世紀の日本は総中流と言われた時代であった。客観的に見ればそれほど豊でない者も多かったが中流意識を持ち他人を鰓やむことなく自分の生活に満足し、日本の発展を疑わず、自分の未来は今よりきっとよくなると確信を抱くことができた。

 

一方、現在の日本人は多くは、日々の生活におわれながら将来もっと悪くなるという不安をぬぐうことができないでいる。日本の将来についても財政悪化や少子化が既定の事実として認識され希望を描くことができない。

 

それに輪をかけているのが、小泉改悪により日本に蔓延した非正規労働による労働者の貧困化である。

 

20世紀と同じ労働でも得られる賃金ははるかに少なくなり、非正規労働者のは日々の生活に手いっぱいであり、一度病気や事故で働けなくなればその生活はたちまち崩壊する。

 

そのような状況ではとても余裕をもった生活をおくることはできず他人にも寛容になれない。現在、日本政府はアメリカ型社会に舵を切りつつあるが、それはごく一部の金持ちと多くの貧困層が存在し中間層は没落していく社会モデルである。

 

現在でもそうなりつつあるが、今後も高齢者や貧困者をさらに圧迫するような国民負担増加政策を継続する限り、様々なトラブルは増えることはあっても減ることはないだろう。