子供のしつけに体罰を完全に規制する等、ごく一部の犯罪に怯えしつけ全体を放棄する動きが勢いを増している。これはゆとり教育が広まりだしたころと同様である。
つめこみ教育ではなく自主性に重点を置くゆとり教育は多くの支持を得て実現したが、結果的には意図に反し学力低下を招き崩壊した。
人間を行動に導くのは好悪の感情であり、快楽を求め苦痛を避けるのが人間の行動の根本である。理性は単に快楽(それが出世であれ恋人の獲得であれ、人の感謝を得ることであれ)をより確実に安全に長期的に得る方法を模索するときに使われるのにすぎない。
言葉で理性にうったえて説得しても子供の行動を変えることは困難である。言葉が子供の行動に影響を与えるとすれば、それは親の言葉に従うことで子供が親の愛情を得られるという快楽を得られるからにすぎない。
子供が社会に適応する為には、その欲望を抑え、社会の突如と調和することが不可欠である。大抵の場合叱責という言葉のペナルティだけで目的を達することができるが、子供によっては、時に直接的な体罰が必要となる場合は明らかに存在する。
命にかかわったり、後に残るような苦痛を与えることは論外であるが、一律に体罰を禁止する流れが大きな弊害を生み将来に禍根を残すことは間違いないだろう。