何故こんなことになったのか、その理由は実に簡単で実現不可能な項目を憲法に盛り込んだからである。
この認識は日本側も同様で憲法発布前の1946年6月8日の衆議院委員会で当時の吉田首相は「戦争放棄に関する本案の規定は、直接には自衛権を否定はしておりませぬが、第9条第2項において一切の軍備と国の交戦権を認めない結果、自衛権の発動としての戦争も、また交戦権も放棄したのであります。」と説明している。
憲法解釈が変わったのは朝鮮戦争の勃発からである。米国の占領統治下で、朝鮮戦争に参戦する米軍の後方基地と日本が位置づけられ、アメリカの政策で再軍備を強いられ、1950年8月10日、日本は警察予備隊を設置し再軍備に踏み切る。
保安庁新設に伴い、1951年11月に政府は、「憲法第9条第2項は,侵略の目的たると自衛の目的たるとを問わず「戦力」の保持を禁止している」としたうえで、「戦力」とは「近代戦争遂行に役立つ程度の装備、編成を具えるものをいう」ので、「近代戦争を有効に遂行し得る程度のものでない」保安隊は戦力ではないという統一見解を発表している。
既に兵員12万人に達していたが、戦力ではないという詭弁を貫いたのである。
この年に成立した鳩山内閣は、憲法9条の見解を以下のように改め、自衛隊は憲法に違反しない、つまり合憲だという統一見解を発表した。
1.自衛権は、国が独立国である以上、その国が 当然に保有する権利である。憲法はこれを 否定していない。したがって、現行憲法の 下で、わが国が、自衛権を持っていることは、 極めて明白である。
1.自衛権は、国が独立国である以上、その国が 当然に保有する権利である。憲法はこれを 否定していない。したがって、現行憲法の 下で、わが国が、自衛権を持っていることは、 極めて明白である。
2.憲法は、戦争を放棄したが、自衛のための抗争は放棄していない
それができなかったがために、日本を取り巻く環境変化の中で冷戦時代以上に日本独自の軍備の必要性が増す状況下の中で、憲法解釈がますます憲法条文を無視したものとなり、政府の独走を抑える憲法本来の役割が失われてきた。
日本に敵意を持ち、日本を滅ぼす軍事力を保有する中国とそれに追随する韓国が隣国として存在する現状を冷静に考慮すれば、日本が自前の行使できる軍事力を必要とするのは必然であり、そのためには安保法制のような制限された軍事力ではなく、憲法を改正し攻撃能力を有する軍事力を保有することが必要である。