今回の安倍元首相の暗殺を受け、旧統一教会の悪事が再び注目を集めている。信仰の名の下に多額の献金を迫り家庭を破壊してしまうなど、本来の宗教の趣旨に大きく外れているように見える。
しかし、宗教の歴史を見るとむしろ血なまぐさい事件が多く、むしろ宗教とそれに基づく狂気というものは、一体のものであるかのように思える。
現在はテロリストというとイスラム教の名の下に行われることが多いが、過去にはキリスト教の名の下に同じような虐殺行為が行われてきた。
科学の進歩と教育の普及によって宗教的な主張が客観的に判断され、聖書や経典の内容を盲信する者は減少してきたが、今21世紀になってその反動が起こっている。
アメリカにはいまだに天動説や、神が短期間で人間を作ったと信じている者が少なからず存在し、そこまで極端でなくても聖書の記述を絶対的価値とし中絶を禁止するような勢力が増加しつつある。
イスラム圏でもトルコのようにかっては宗教より科学を重視してきた国においても宗教的価値観を絶対的とする勢力が増えている。
世界的に格差が拡大する中で、落ちこぼれた貧困層が神に頼ることにより、宗教がますます原理主義的に過激になりつつある。
絶望と不安が神を求め、その教義や行動をますます過激にしていき、多くの不幸を再生産する。