日本の国はここがおかしい

将来の希望を失いつつある日本、国民が安心して生活できる国になるにはどうすればいいか

日本の災害対策は国民生活を守れるようになったか

兵庫県南部を震源とする阪神・淡路大震災は、発生から25年を迎えた。神戸市など大きな被害を受けた地域では遺族らが地震が起きた午前5時46分に黙とうし、犠牲者を悼んだ。

 

当時、テレビで地震後の神戸の映像を見た時、印象に残ったのは、燃え盛る放置された炎と、地震に耐えたにもかかわらず、次々と燃えていく建物であった。

 

現在は当時よりは初期消火体制等はかなり改善されているようだが、大きな火災になってしまった場合の消化体制はいまだに不十分ではないだろうか。東北大震災においては津波被害が大きく、火事の被害はそれほど大きくなかったので、その能力は検証されていない。

 

もう一つ印象に残っているのは、復興過程での混乱であった。自然災害の被害回復は個人の責任であるとされ、運が悪く地震に遭遇し、財産を失った者は仮住まいと当座の衣食は与えられたものの、国からは個人への直接支援はするべきでない、との原則のもとに放置された。運よく地震を生き延びた者の内少なからぬ者が、今まで築き上げた財産も仕事も失い、負債だけをかかえ、絶望の末に死んでいった。

 

家を失った者の内、復興住宅から脱出できない者も多い。家を建てることに成功した者も元の家のローンと二重に住宅ローンを抱え、元の生活を取り戻せていない。分譲マンションは、入居者間の調整の手間取り、とうとう修理や建て替えをあきらめたケースもある。

 

この状態は現在でもそれほど改善されたようには思えない。東北大震災や海外の被害者達も、当時より少しはマシになつたとはいえ、阪神大震災の被害者と同様に苦しんでいる。

 

これからも多くの大地震や水害等の発生が予想される日本では、個人への直接支援をしないという原則を無視してでも、暮らしや地域の再生を重視した復興プランを整備すべきである。被害者を何時までも被害者のまま放置するのではなく、独り立ちできるようにすることが結局のところ日本にとってもプラスになる。