日本の国はここがおかしい

将来の希望を失いつつある日本、国民が安心して生活できる国になるにはどうすればいいか

イタリア国民投票に見る、格差拡大で建前のきれいごとを維持できなくなったヨーロッパ社会

第二次大戦後続いた人類の幸せな時代が終わりつつある。共産主義に対する対抗策して生まれた修正資本主義は戦後の欧米社会と日本に空前の幸せな社会をもたらしていた。

 

修正資本主義の時代には労働者は中産階級となり、企業はその中産階級相手に大量生産した商品を販売することで多額の利益を得ることができた。

 

その結果、豊かになり余裕のある国民は理想を求め、特に欧州において平等や人道主義、動物愛護、死刑廃止等々の様々なきれいごとの建前が社会のあるべき姿として幅をきかせてきた。

 

しかし、ソ連の崩壊による共産主義の衰退と同時に、資本主義は修正主義の時代からグローバル資本主義に変質を始めた。

 

グローバル資本主義においては、企業は国家の制約を離れ、賃金の安いところで雇用生産し、購買力のあるところで販売し、税金の安いところに拠点を設けている。

 

修正資本主義においては、労働者と顧客は同じ層であり、賃金を上げることは売り上げの増加に結びつくことが多かった。しかし、グローバル資本主義においては労働者と顧客は別物であり、賃金は安いことがベストであり、企業側に賃上げの必要性は何もない。

 

結果的に賃金の安い新興国での雇用が増え、先進国で生産する場合でも雇用は移民や非正規労働者等の低賃金労働者で賄われる。

 

その結果、先進国では失業率が増大し、国民は大金持ちと、貧困層に二極化し年々その格差が拡大している。

 

移民との雇用競争と貧困化がEU内での移民排斥運動の原動力となっている。衣食住に満足していてこその理想主義であるが、貧困化による不満拡大により、建前としての理想主義はその価値を失いつつある。

 

かって敗戦国ドイツで発生したユダヤ人排斥とナチス運動は、今度はヨーロッパ全域に拡大しEUの崩壊、移民排斥と極右政権の拡大という形で現れる可能性は否定できない。