日本の国はここがおかしい

将来の希望を失いつつある日本、国民が安心して生活できる国になるにはどうすればいいか

説得力の無い法務省のQ&A

法務省は21日、日産自動車前会長カルロス・ゴーン被告の国外逃亡前の長期勾留などに国際的な批判が出ていることを受け、日本の司法制度について「人質司法には当たらない」などと反論するQ&A形式の解説をホームページに掲載した。」という記事を見たので読んでみたが全く説得力がない。これなら出さない方がマシである。

 

拘留期間についても10日を限度に延長し最長23日と回答しているが、実際は関連する容疑を複数に分割したり証拠隠滅の恐れ等の理由で長期間拘留されていた籠池氏やゴーン氏の例があり全く説得力がない。

 

さらに拘留の決定等は検察官ではなく裁判官が行っていることを強調しているが、弁護士の間では裁判官が検察官の要請をほぼ認めることは周知の事実である。

 

また人質司法への反論として日本の刑事司法制度は,身柄拘束によって自白を強要するものとはなっていない、と主張しているが、長期間の拘留と自白が多いという客観的な事実があるのに対し、自白を強要していないという証拠は何一つ提示されていない。

 

そもそも推定無罪の原則を言いながら、週二回しか風呂にも入れず、名前ではなく番号で呼ばれる劣悪な住環境に長期間拘束し家族との面会を禁じること自体が拷問の一種と見られても仕方がない。口ではどんなに推定無罪を唱えても、その実態は推定有罪であり、その劣悪な環境で長期間拘留されることが自白につながり冤罪を産んでいることは否定できない。

 

また、弁護人が立ち会うことを認めた場合,被疑者から十分な供述が得られなくなることで取調べの機能を大幅に減退させるおそれが大きいとしていること自体、密室で自白を強要していることを認めているのに等しい。

 

海外では弁護士立ち合いが常識であれば、日本でもそれができないはずはないのである。日本でできないとすれば、容疑者の捜査に外国とは異なることが行われている証拠である。

 

日本の刑事裁判は決して長くないとしているが、刑事裁判だけでなく民事裁判においても日本の裁判は時間がかかるというのが常識である。ゴーン氏の裁判においては5年はかかるという事実があるのだから、この回答も説得力はない。

リスクは知っていても対策を打たず神頼みの日本

日本を滅ぼしかねない致命的なリスクは政治家だけでなく国民も理解している。しかし、国も国民も何ら具体的な手をうたず日々ボンヤリと過ごしているのが日本の現状である。

 

差し迫ったところでは東京直下型地震のリスクがある。少なくとも50年以内には発生するだろう。しかし、何故か日本では東京一極集中がむしろ進んでいる。東京直下型地震が発生した時の被害予想はなされているが、その被害をどう軽減しそこからどう回復するかといった具体的な対策はたてられていない。

 

また、石油資源の中東への過度な依存の危険性は以前から指摘されてきたが、これも対策は進んでいない。中東は火薬庫であり何時紛争が拡大しても不思議ではなく、そうなれば日本への原油供給は断たれることになるが、それを防止し代替する具体的な対策は作られていない。

 

日本の政治家も国民も「そうなったらそれでなんとかになるさ」というような感覚である。実際は何ともならず多くの国民が塗炭の苦しみを味わうことになるが、事前には何も準備していない。

 

着実に押し寄せている少子化の波についても同様である。少子高齢化が現状で30年も進行すれば日本社会は致命的な変貌を遂げることになるが、それを防止しそれに備える効果的な準備は何一つされていない。

 

仮に神が存在するとしても、自ら助かる意思があり努力する者しか助けない、のんきに成り行きまかせをしている神頼みの国民は助けないことは明らかである。

日本の法律は憲法から条例に至るまで守れないものや現実に合致せず官僚の裁量権を拡大するものが多い

ゴーン氏の日本の司法批判に対し、マスコミ等では日本の司法制度を擁護する意見が多く流されているが、日本の司法手続きが推定有罪の原則に基づき被疑者の人権を完全に無視していることは否定できない。

 

しかし、日本の司法を考える上では、これより大きな問題点がある。それは日本の法律は憲法から条例や規則・通達に至るまで現実離れしたものが多く、守れないか、守ったら社会が機能しないものが多すぎる。

 

その矛盾をどう処理しているかというと、一つの方法は拡大解釈や無理やりの曲解である。その典型は憲法で武力の保持を禁止しているにもかかわらず、自衛隊で武力を保持し、自衛の為の武力は憲法で禁じていないというような文言を無視した解釈である。

 

次に多いのが黙認と見せしめとしての摘発である。法律が守れないことは取締当局もわかっているから違反があっても通常は摘発しない。しかし、他から指摘されたり目立つようだと摘発する。これは当局の裁量で実施され法の下での平等は無視される。

 

今問題となっている河井議員の公職選挙法違反などはこの典型である。今どき日当15000円以内でウグイス嬢を雇うことは不可能であり、ほとんどの候補者が何らかの方法でそれを上回る金を渡しているが、たまたま問題視されたりたれこみされた者だけが罪に問われる。

 

身近なところでは交通違反のスピード制限が典型である。ほとんどの車は制限スピードを守っていないが摘発されることはない。たまたま運の悪い者だけがつかまることになる。

 

暴対法などもその一例である。きっちりと運用されれば暴力団員は誰も生活することはできない。それができているということは、捜査当局が平時はある程度法律違反を黙認し何か問題をおこした時にそれを理由に逮捕しているからである。

 

これらの法律の問題点は解釈や裁量権を官僚に委ねることで、官僚権力の原動力となっいることである。

 

今回決定した家庭での体罰禁止に対する法律などは、従来聖域であった家庭内のことにまで官僚が介入する機会を与えるという意味で将来に禍根を残すことは間違いない。

日本の災害対策は国民生活を守れるようになったか

兵庫県南部を震源とする阪神・淡路大震災は、発生から25年を迎えた。神戸市など大きな被害を受けた地域では遺族らが地震が起きた午前5時46分に黙とうし、犠牲者を悼んだ。

 

当時、テレビで地震後の神戸の映像を見た時、印象に残ったのは、燃え盛る放置された炎と、地震に耐えたにもかかわらず、次々と燃えていく建物であった。

 

現在は当時よりは初期消火体制等はかなり改善されているようだが、大きな火災になってしまった場合の消化体制はいまだに不十分ではないだろうか。東北大震災においては津波被害が大きく、火事の被害はそれほど大きくなかったので、その能力は検証されていない。

 

もう一つ印象に残っているのは、復興過程での混乱であった。自然災害の被害回復は個人の責任であるとされ、運が悪く地震に遭遇し、財産を失った者は仮住まいと当座の衣食は与えられたものの、国からは個人への直接支援はするべきでない、との原則のもとに放置された。運よく地震を生き延びた者の内少なからぬ者が、今まで築き上げた財産も仕事も失い、負債だけをかかえ、絶望の末に死んでいった。

 

家を失った者の内、復興住宅から脱出できない者も多い。家を建てることに成功した者も元の家のローンと二重に住宅ローンを抱え、元の生活を取り戻せていない。分譲マンションは、入居者間の調整の手間取り、とうとう修理や建て替えをあきらめたケースもある。

 

この状態は現在でもそれほど改善されたようには思えない。東北大震災や海外の被害者達も、当時より少しはマシになつたとはいえ、阪神大震災の被害者と同様に苦しんでいる。

 

これからも多くの大地震や水害等の発生が予想される日本では、個人への直接支援をしないという原則を無視してでも、暮らしや地域の再生を重視した復興プランを整備すべきである。被害者を何時までも被害者のまま放置するのではなく、独り立ちできるようにすることが結局のところ日本にとってもプラスになる。

森法相は反論するより反省すべき

米紙ウォールストリート・ジャーナル(WSJ)が社説で日本の刑事司法制度を批判したことに対し、森雅子法相は「制度を正確に踏まえていない」と反論する文章を同紙に寄稿した。

 

森氏は寄稿で日本の司法手続きについて「裁判官によるチェックも含め慎重に進められ、容疑者や被告の権利にも細心の注意を払っている」と改めて強調。取り調べの録音・録画の導入で「脅迫的な調べが行われないことを検証できる」と訴えた。

 

しかし、それに同意できるものは少ないのではないだろうか。まず有罪確定していない容疑者の拘留は減らすべきである。逃走や証拠隠滅の可能性が拡大解釈され、拘留の必要のないものまで拘留されることで、一度警察や検察に目をつけられると無実であっても社会生活を破壊される。

 

次に拘留環境を改善すべぎある。逃走や証拠隠滅の可能性があるから拘置しているのであれば、無罪推定の容疑者に劣悪な住環境を強いる合理的な理由は無い。漏れ聞く拘置所での生活は明らかに人権侵害であり、被告の権利を無視したものである。

 

一度森法相は拘置所生活を1月程度経験してはどうだろうか。

 

また、弁護士の立ち合いを認めず、何時間も取り調べ、容疑を分割し何度も逮捕し拘束期間を延ばし自白を迫る手法は明らかに脅迫的な取り調べである。

転職市場の改善に無策のまま早期退職を増加させれば、さらに日本の崩壊を早めることになる。

日本の大きな問題点として35歳から40代後半の就職氷河期世代の問題がある。正規社員になれず非正規社員として働き、日々の生活におわれ老後の貯蓄も年金も形成できない世代が高齢世代になれば、財政面でも治安面でも日本社会に大きなダメージを与えると予想されている。

しかし、どうやら同様の危惧は50代のバブル世代でも発生しそうである。

2019年に早期・希望退職を実施した上場企業は35社で、対象者が計1万1351人に達したことが東京商工リサーチの調査で判明した。電機大手を筆頭に、6年ぶりに1万人を超えた。業績が好調なのにもかかわらず踏み切る「黒字リストラ」が増えているのが特徴だ。早期・希望退職の対象者は、1988~92年に就職したバブル世代を含む40代後半から50代が中心である。

現状では早期退職してもこの世代がふさわしい仕事につける可能性は低い。このまま早期退職が増加すれば日本はバブル世代と就職氷河期世代という二つの世代の高齢破綻者を抱え込むことになる。

日本の問題は労働者の流動性に乏しく、特に中高年の転職市場が不十分なことである。二つの世代を戦力化し税金を確保し将来の高齢破綻者を減少させるためにも、政府は抜本的な転職システムの改革を早急に進めなければならない。

バブル崩壊後、何故日本企業は競争力を失ったのか

バブル崩壊過程において日本政府は大きな間違いを犯した。一つは急激な金融規制や利上げを実施してバブルをハードランディングさせたこと、二つ目は導入すべきでない時期に金融の国際基準を導入し厳しく適用したこと、三つ目は景気対策というアクセルと国民負担の増加というブレーキを同時に踏み景気低迷を長期化させたこと、四つ目は適切な円高対策を怠ったことである。

これらの政策失敗が日本の衰退をもたらした原因であるが、これが企業にどのように働きかけ企業を弱体化させたかを振り返ってみよう。

バブル崩壊直前多くの企業は不動産を保有していた。借金して不動産を保有していた企業も多かったが、健全な企業であってもその不動産の含み益を利用して資金調達を行っていた。

これがある日突然不動産の暴落に直面した。当然資産価値は減少するが負債はそのままであり企業の貸借対照表は大幅に悪化する。従来の会計のままであれば含み損を貸借対照表に反映させる必要はなかったが、国際基準が強制的に導入され、貸付基準が厳密に適用され厳しい検査が実施されたため、ほとんどの企業が財務体質に問題ありとされ、資金調達環境は大幅に悪化した。

また、不動産価格の暴落は企業の需要の大幅な低下をもたらし、売上が減少することになった。金融環境の悪化に加え国内需要減と円高による輸出環境の悪化により先行き不安が高まり、企業は設備投資を止め工場閉鎖やリストラによる経費削減に方向転換した。

工場閉鎖とリストラはさらなる需要減を招き負のデフレスパイラルが日本に蔓延することになった。その結果、日本企業は縮小均衡に終始し新たな研究や設備投資を怠り、新しい時代に出遅れることになった。また、リストラされた優秀な技術者が中国や韓国等のアジア諸国に流出することでこれらの国の技術力が高まり多くの分野で日本の地位を凌駕するに至った。