日本の国はここがおかしい

将来の希望を失いつつある日本、国民が安心して生活できる国になるにはどうすればいいか

古き良き時代、経営者は従業員の生活や人生まで考慮していた

バブル崩壊後30年も続いた日本の不況は経営者から古き良き伝統を奪い去ってしまった。

 

昔の企業経営者は従業員の生活にも気を配っていた。業績が悪化してもまず自分の報酬を抑え、従業員の給与に手をつれるのは最後であった。

 

中小企業や商店では、従業員の人生にも目を配り、収入面だけでもなく結婚や子育てにも配慮はしていた。個人商店でさえも名が音か働いてくれた従業員にはのれん分け等で報いていた。

 

しかし、バブル崩壊後の不況以降、経営者はそんな余裕を失い。今では従業員を単なる労働力としか考えていない。

 

これから結婚し子育てするであろう若者を非正規雇用という名の下に年200万円程度の金額で、何年も使い続けるなど単なる労働力としか見ていない証拠である。

 

年収200万円程度の金額では結婚も子育ても困難である。結婚や子供の減少を価値観の変化で片付けようとしているが、実際のところ最も大きな要因は収入の減少と雇用の不安定である。

 

昔のように年功序列で従業員の生活を丸抱えしろとは言わないが、少なくとも自分の会社で働いている従業員に対しては、結婚や子育てを可能にする賃金や労働環境を提供すべきである。

 

人間を使い捨てにする企業や社会は衰退の道を進むことになる。

goto トラベルもそうだが、日本の政治はいつもアクセルとブレーキを同時に踏んで失敗する。

菅政権が遂にgotoトラベルの一時停止を決定した。外出自粛を要求する一方で、外出を促進するgotoシラベルを実施することは誰の目にも矛盾であった。

 

菅総理は専門家の意見の中で都合のいい意見だけを取り入れgotoトラベルを強行してきたが、さすがに患者数の増加とそれに伴って大きくなったgotoシラベル批判に抗しきれなくなったというのが実際のところだろう。

 

政策がうまくいかないケースでは矛盾する政策を同時に実現しようとすることが原因である場合が大須。ここ30年の日本の経済政策の失敗は全てこのケースである。

 

景気拡大をしようとして財政支出を大判ぶるまいする一方で増税等の経済縮小策をとってきたことなどはその典型である。結果、財政も経済も共に悪化させ今日の日本の体たらくを招いたことは記憶に新しい。

 

今回のコロナ禍でもそうである。コロナ対策と経済対策を同時に実行しようとして、相反する矛盾した政策を同時に実行するから失敗する。

 

車の運転ではアクセルを踏むかブレーキを踏むかはどちらか一方であって同時には踏まないようになっている。同時に踏んだら車がどう動くかはわからない。

 

政策も同様である。コロナと経済のどちらも重要であっても、ブレーキを踏む時はブレーキだけを踏み、一段落したところで経済対策のアクセルを踏むというようにタイミングをわけるべきである。

大学の授業料はやはり高すぎる。貧困家庭の優秀な学生を進学させる工夫が必要

コロナ禍で大学の授業がオンラインになり通学できないこと、飲食業界の不況でアルバイトが激減していること等から、大学の授業を一律半額にしてほしいという学生の運動がおこっている。

 

実際昔と比べて大学の授業料がどれほど負担になっているか旧国立大学で見てみると次のようになる。
授業料が月1000円だった昭和47年当時、勤労者世帯の月平均賃金は76千円で負担率は1.32%
授業料が月3000円だった昭和50年当時、勤労者世帯の月平賃金は131千円で負担の津は2.29%
だったが、令和元年では平均賃金月307千円に対し、授業料は月44650円で負担率は14.54%にも達している。

 

これでは平均的な収入を得ている家庭にとっても学費負担は重すぎる。現在増えている200万円前後の収入しかない非正規雇用層にとっては子供を進学させることは不可能に近い。

 

文科省は財政面だけに囚われ授業料を上げ続けてきたが、現在では平均所得層にとっても大学進学負担は大きくなりすぎ、多くの優秀な貧困家庭の子息を大学から遠ざける結果となっている。

 

元々資源の少ない日本では、高い教育を受けた労働者を有することが強みであったが、文科省の政策により教育をうける権利を放棄せざるをえない若者が増加し日本の競争力を弱め、中国や韓国の後塵を拝する結果となっている。

 

今一度大学の授業料の在り方を見直すべき時期である。私は全ての授業料を半額にしろとは言わないが、高レベルの大学の優秀な学生については、貧困家庭でも余裕をもって進学できる授業料にすべきである。

年収1200万円以上だと児童手当を支給しないという愚挙

高所得世帯向けの月5000円の給付対象は現在、配偶者と子ども2人が扶養に入る4人世帯の場合、夫婦の「収入の高い方」の年収が960万円以上。新たな仕組みでは、この線引きを維持する一方、夫婦のうちのどちらかが年収1200万円以上になれば支給を打ち切る。受給対象から外れる子どもの数は約61万人と見込まれる。960万~1200万円未満は引き続き、5000円が給付される。

 

せこい話である。財政難のおり年収1200万円もあれば5000円程度の児童手当はいらないだろう、という考えだろうが、少子化対策という点からは大きな後退である。

 

本気で少子化対策を考えるなら、本来は余裕のある層に働きかけるのが最も費用対効果が高い。同じ額を投入するにしても、貧困者よりは高額所得者に出した方が効果は大きい。

 

そもそも5000円という金額は少なすぎて子供を増やす誘因にはなりえない。少子化対策という観点から言えば余裕のある高額所得者に対しても、十分に子供を増やしてもいいと思わせるだけの児童手当を支払うべきである。

 

日本の将来にとって現在の少子化は致命的であり、日本の将来がじり貧となることは誰の目にも明らかであり、少子化対策は全ての対策に優先すべきものである。

 

高額所得者に子供を作るなというメッセージを与えるような愚挙は止めるべきである。

年収200万円は負担余力のある高額所得者か?

菅義偉首相は9日夜、公明党山口那津男代表と東京都内のホテルで会談し、75歳以上の医療費負担の引き上げについて、対象となる高齢者の範囲を「年収200万円以上」とすることで合意した。

 

医療費負担の引き上げ対象者を自民党が170万円、公明党が240万円以上としていたことから、デキレースでその間で妥結すると考えていたが、予想通りの決着を迎えた。

 

高齢者の負担引き上げの理由は団塊の世代が75歳以上となり、保険財政の悪化が見込まれるからである。しかし、国民生活の視点で見た場合、年収200万円という金額は負担余力があると言えるのだろうか。

 

年金収入が200万円だとしても健康保険と介護保険で20万円ほどはもっていかれ、住民税や住居費を除けば自宅所有者でも可処分所得は160万円程度となり、月に使える額は14万円に満たない。

 

借家生活であれば、その額は10万円を切ってしまう。財政面問題も重要だが、高齢者の生活ほ維持することはより重要である。

 

私見では、後期高齢者についても別に3割負担でいいと考えているが、200万円程度の低所得者については、月の医療費上限を現在の57000円から30000円程度まで引き下げるのが妥当だと考えている。

 

収入に関係なく年齢で負担率を変えることは結局のところ年齢差別である。それよりも負担率は同じにし、収入に応じて負担上限を定める方が生活を安定的に維持するという点でも合理的である。

医療費の自己負担は年齢ではなく収入に一本化すべき

現在後期高齢者の事故負担比率をどうするかで与党内て自民党公明党が対立している。後期高齢者の医療費負担割合を2022年度から所得に応じて1割から2割へと引き上げる方針が社会保障制度改革の中間報告に盛り込まれた。

 

自民党は年収170万円以上の2割負担を主張し、公明党はこれでは範囲が広すぎるとして240万円以上にすべきだと主張している。

 

団塊の世代が75歳以上に達し、医療費負担が増すことから負担増が必要という判断らしい。しかし、それはあくまでも財政上の都合にすぎない。

 

医療費負担などは国民生活を基準にして考えるべきものである。そこには年齢はあまり関係がない。そもそも75歳以上とそれ以下で負担率をわける合理的な理由は何もない。同じ年金生活者で考えても75歳以上は65歳よりも多額の年金収入があり、65歳が3割負担で75歳が1割負担ということ自体が不合理である。

 

医療費の負担率は負担能力で判断すべきである。そこで重要となるのは日本人として生活していくのに最低限いくらの収入が必要かということを家族構成ごとに都道府県別に目安を示すことである。食費、住居費、衣料費、医療費等々、個別に目安を示し、その収入を最低基準にして負担額を決めるべきである。

 

実際のところ医療費負担は全世代3割負担にすべきである。その上で収入別の月間医療費限度額を定め、それを超える部分については還付するようにすればいい。

少子化対策としては、不妊治療支援は費用対効果が少ない。

菅首相が力を入れようとしているのは、「不妊治療の保険適用」と「助成金の所得制限の緩和」だ。これを少子化対策の目玉として打ち出しているが、かかる費用と比較して効果は少ないのではないかとの批判がでている。

 

代表的な意見が、不妊治療の改革に取り組むのであれば、第2子、第3子がいる多子世帯に対して、サポート体制の整備に取り組むべきだ、というものである。

 

実際のところ、妊娠しにくい女性が子供を産むよりは一人以上の子供を産んだ女性がもう一人子供を産む方がはるかに簡単である。次の子供を産まない原因の多くが経済的な理由にあるのだから、金を出すことの効率はこちらの方がはるかに高い。

 

子供が成長すれば教育費などの負担も多子世帯に重くのしかかる。高校や大学の無償化も進んでいるが、こちらも所得制限などがあり、まだまだ十分とは言い切れない。

 

所得の高い層ほど子供を多く育てる余裕がある。所得制限を廃止し、余裕のある家庭により多くの子供を産み育ててもらうことが、最も効率的な少子化対策である。