ひろゆき氏に限らないが、高齢者の自動車事故がある度に高齢者に免許を返納させろという主張が声高に叫ばれる。
これに対し、地方では免許がないと生活できないという反論が聞かれる。しかし、この反論は物事の本質をついていない。
高齢者を一括りにして高齢者の能力は劣るものだという決めつけがあり、だから高齢者の行動の自由を制限するのは当然だという偏見が存在する。
これは明確な年齢差別である。しかし、「差別に鈍感な日本人」はこれを差別だと認識できていない。
かって女性は男性より体力が劣るのだから、女性はこれをすべきではない、という差別が当然のことと思われ実践されてきた。
しかし、今では女だからこれこれをするべきではない、というような発言は女性差別として厳しく糾弾されるようになった。
だが、高齢者に対してはかって女性に対し言われていたようなことが、あたかも正論のように語られている。
高齢者は一括りに語られるものではなく、90を過ぎても壮年に負けない元気な高齢者も多く存在する。
運転不適格者は高齢者だけではなく若者にも壮年にも一定数存在する。悲惨な交通事故を避けるなら運転不適格者を排除できる検査を導入すべきである。
今のようなつまらない話を聞くだけの実効性の無い免許書き換え研修は無意味であり、運転能力を判断できる研修に改め、高齢者だけでなく全員に平等に課す。これで運転不適格者を排除することが交通事故削減には有効である。