自衛隊のイラク派遣で見つかった日報の中で戦闘という言葉が使われていると野党が問題視している。実にバカげた話である。そもそも戦闘が発生しているところに戦闘地域と非戦闘地域の明確な区分を設けることが現実離れしている。
しかし、為政者はさすがに言霊に頼るわけにはいかず、現実の危機に備え憲法を拡大解釈し自衛隊を設立し拡大してきた。しかし、如何に憲法を曲解し拡大解釈してもそこにはやはり限界がある。安保法制でも自衛隊の派遣場所は非戦闘地域と言わざるをえないのが今の自民党政権の限界である。
日本国憲法は第十条で「日本国民たる要件は、法律でこれを定める。」第十一条で「国民は、すべての基本的人権の享有を妨げられない。この憲法が国民に保障する基本的人権は、侵すことのできない永久の権利として、現在及び将来の国民に与へられる。」として国民の基本的人権を保障しているが、法律で日本国民の定義として「国を愛し国の為に貢献する意思と能力を有する者」と定めれば、政府に反対する者の基本的人権の多くを合法的に奪うことも可能になる。
第十八条は「何人も、いかなる奴隷的拘束も受けない。又、犯罪に因る処罰の場合を除いては、その意に反する苦役に服させられない。」となっており、これが徴兵制を否定する根拠とされているが、兵営は苦役で無く国民の崇高な義務と解釈すれば徴兵制も完全に実現できる。
第二十一条は「集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する。」として表現の自由保障の根拠となっているが、憲法9条2項の解釈が許されるなら、表現の自由とは言えども社会に害を与える言動は許されないという解釈を追加することは難しくない。
憲法は文字通りにしか解釈できないものでないと、いくらでも拡大解釈され、書いている内容とは似ても似つかぬものになる。
日本国憲法は既に形骸化し国民を守り政権を制約するという本来の役割を果たせるものでなくなっている