日本の国はここがおかしい

将来の希望を失いつつある日本、国民が安心して生活できる国になるにはどうすればいいか

民主主義国家では国民は自分のレベルにふさわしい政治家しか選べない

トランプ政権の保護貿易政策や安倍政権のモリカケ問題等の混乱が問題視されながらも、トランプ、安倍ともに高い支持率を維持していることに対し、支持者の知的レベルが低いと嘆くむきがある。

 

しかし、民主主義社会というものは元々そんなものである。国民の平均レベルを上回る知識や判断力を持つ者は国民の一部にすぎず、大部分の国民はいわゆる知識人と称する人のあるべきレベルを下回っている。

 

民主主義社会では国民は自分のレベルに相応しい指導者しか選ぶことはできない。もし国民のレベルとかけ離れた優秀な指導者を欲するならば、中国のように民主主義によらない独裁政治を考えるべきである。

 

民主主義政治においては、その政策が気に入らないからといって、そんな政治家を支持するような奴はバカばかりだ、と批判したところで何の役にもたたない。

 

政治を変えようとすれば、国民を啓蒙し国民の知的レベルを引き上げる以外に方法はない。

ゆでガエル状態にあるのは財政ではなく日本社会

東洋経済の野村某という記者が「財政の「ゆでガエル状態」は、どれだけ危険か」という記事を書いている。結論はこのまま放置すれば財政が破たんし大変なこととなる、というもので何の新しいこともない、従来からの財政再建論者の主張の繰り返しにすぎない。

 

ゆでガエル状態とは、ゆっくりと進行する危機や環境変化に対応することの大切さ、難しさを戒めるたとえ話の一種で、おもに企業経営やビジネスの文脈でよく用いられる。カエルを熱湯の中に入れると驚いて飛び出すが、常温の水に入れて徐々に熱すると、カエルはその温度変化に慣れていき、生命の危機と気づかないうちにゆであがって死んでしまうという話である。

 

野村氏は日本の財政赤字は正にこの状態であると指摘しているわけだが、根本的なところで認識が間違っている。

 

財政赤字は主因ではなく社会構造の結果にすぎないということである。財政赤字の最大の原因は社会保障費の増大であるが、その社会保障費の増加は高齢人口比率の増加の結果に他ならない。

 

ゆでガエル状態にあるのは財政ではなく危機感もなく少子化を放置し何の手もうたず、現在の高齢化社会を招き、近い将来の超高齢化社会到来を不可避とした政治と国民である。

 

財政だけを健全化しようとすれば、対策は高齢者を犠牲にし一人当たりの社会保障費の削減を実現し、さらに現役層の社会保障負担を増加させ国民全員に犠牲を強いる方法しかない。

 

しかし、今後20年の人口構造をみるかぎり、社会の安定性を崩壊させるほどの国民負担無しには財政健全化は不可能である。

 

根本的な対策はできるだけ早く少子化を解消することであり、それ以外に方法はない。しかもそれができる時間的余裕は年々少なくなっている。

 

可能な限り早く出生率を増やし、日本社会の人口構造が改善される20-40年の間、経済成長、超長期国債無利子国債政府紙幣等を活用して財政を凌ぎ、少子化解消後の50年程度の期間をかけてその負債を解消する以外に日本の危機を脱却する方法はない。

 

このまま後5年、少子化解消に無策でありつづけるならでは50年後に日本が現在の繁栄を続けている可能性は限りなくゼロに近く、アジアの貧困国の仲間入りをしている可能性が高い。



正社員になっても中央値以下の年収では子供は育てられない。

バブル崩壊後、役員報酬は増加してきましたが、労働者の賃金は低下しつづけた結果、正社員として働いていても子供を育てることの難しい層が増加しています。

 

正社員全体の平均年収は約485万円ですが、平均年収ではなく中央値で見てみると、370万円となり、男455万円 女245万円程度です。結婚適齢期の20代30代前半の大部分が400万円以下に収まっています。

 

年収が400万円だと20%程度税金や社会保険料を差し引かれるので手取りは320万円程度しか残りません。ここから家賃や住宅ローンとして月5万円以上支払うと、生活費として利用できるのは260万円以下しかありません。

 

これでは、将来給料が上がるという展望がないと子供を産むことを決心するのは難しい。

 

安倍首相も努力はしていますが、20代後半から30代にかけての、結婚や出産を考える年代の賃金を引き上げ、将来に対し希望を抱ける政策を実施し定着できないかぎり、少子高齢化による日本の破たんは避けられない未来となります。



役割を終えた地銀の経営などどうでもいいが、国民から搾取し企業に渡す低金利政策はもう終わるべき

読売新聞の7月日記事によると
地方銀行全106行のうち約4割の40行が、2018年3月期決算で、本業が3期以上連続で赤字となったことが金融庁の調査でわかった。人口減少や低金利で収益が悪化し、有効な打開策を打ち出せない苦境が改めて浮き彫りになった

 

政府の低金利政策の結果、本業の融資では稼げないため、株式や国債などの有価証券を運用して利益を確保する姿勢を強めており、過度にリスクをとっているなどの問題点が見つかっている。

 

だからどうしろとは読売の記事では書いていないが、以前からこれをうけて低金利政策を見直すべきという主張がされてきた。

 

私も低金利政策は見直すべきだという考えだが、それは別に地銀の経営などを考慮しての ことではない。預金を集めて企業に融資するとい銀行機能は既に使命を終えている。

 

審査能力か無く、担保が十分にある企業にしか融資できないような銀行では、日本経済にとって必要な新規企業の開業や成長には役立たない。

 

日本に必要とされるのは地銀の融資ではなく、もっと企業内容を理解しリスクをとって融資や投資できる資金である。

 

預金者がその貴重な資金を銀行に預け、銀行がその資金を成長性も無い企業に融資したり、国内外の債券で運用したりするのは資金の無駄遣いでしかない。

 

使命を終えた旧態然とした地銀などは経営不振で倒産したとしても何の問題もない。

 

私が低金利政策を中止すべきと考えるのが、それが国民に対する搾取だからである。

 

バブル崩壊前定期預金金利は6%の水準にあったのだが、バブル崩壊後政府が企業を助けるための低金利政策に転じてから金利は下がりつづけ、今ではゼロに限りなく近くなっている。

 

これは家計からの大いなる搾取である。家計の金融資産は約1800兆円あるが、定期預金金利が3%あれば家計に54兆円の収入が入り、これが需要に転じればGDPの拡大に大きく寄与する。

 

日本人の平均貯蓄額は約1600万円といわれているので、3%の金利で利息収入が48万円得られることになる。

 

これはバカにできない金額であり、これだけの利息収入があれば間違いなく個人消費は活発になり日本経済にもおおいにプラスとなる。

 

これに対しては金利が上がれば企業収益が減少し経済にマイナスだという指摘が当然おこる。しかし、日本を代表する優良企業はほとんど無借金であり金利上昇の影響はない。また、3%程度の金利上昇に耐えられないような脆弱企業は淘汰した方が日本経済の為には有益である。

 

尚これによる円高が生じ輸出が減ったとしても、国内需要の増加と比較すれば経済全体への影響は少ない。また金利上昇による国家財政の利子負担増加については、引き上げ前に国債の発行期間を長期化する等の方法でカバー可能である。

無能なサラリーマン経営者の役員報酬だけが上がり、労働者のち賃金水準が伸びなくてはデフレから脱却など不可能。

日本企業の世界的な地位はバブル崩壊後低下を続けている。これに比例するように労働者の平均所定内賃金はほとんど増加していない。

 

一方で役員報酬アメリカの影響を受け増加傾向にある。本来役員報酬は企業業績の伸びに応じて増加すべきものであるが、多くの企業でそれ以上に増加している。

 

経済にとって一部の金持ちと大多数の貧乏人に分断された社会と、中流階層が多数を占める社会のどちらが良いかと比較すれば、明らかに中流階層の多い社会の方が経済発展には有利である。

 

理由は簡単である。一般庶民の100倍の所得がある者であっても、質はともかく量の面では100人分の消費をすることは無いからである。

 

また、庶民が消費する商品は大量に生産する必要があり、多くの資源と労働力を必要とし、それが消費されることは雇用や需要を生み経済成長に直結する。

 

一方で金持ちが好んで消費するような高級品は高い技術を擁する一部の限られた労働者の仕事に繋がるが、大部分の大衆には無縁のものであり雇用にも資源消費にも繋がらず経済への波及効果は少ない。

 

経済規模が同等であれば、少数の金持ちに金が集中した社会よりは、中流階級に金が分散している社会の方がより多くの雇用や資源の消費をもたらし、経済発展をもたらしやすい。

 

日本のデフレの主因は資金に余裕のある企業が国内ではなく海外投資していることにあるが、その根本をたどれば国内消費が低迷していることにある。

 

これには将来不安による買い渋りや賃金が上がらないことが影響している。安倍総理がどんなに声を張り上げても多くの企業には響いていない。

 

しかし、賃上げは日本企業復活には絶対に必要な要素である。日本の役員報酬アメリカと比較すれば少ないが、今はアメリカのまねをして自分達の役員報酬を上げる状況ではない。その余裕があればまず労働者の賃上げを優先すべきである。

親の長生きよりも早死にを期待する社会に未来は無い

昔は喜寿とか白寿といって、長生きを幸せなこととして、親族や周囲だけでなく社会全体として祝っていた。しかし、現在社会においては長生きは幸せというよりはリスク要因になっている。

 

老いた両親が健在であることは、子供夫婦にとっては幸せなことというよりは将来降りかかってくるかもしれない負担を心配する不安要因となっている。

 

国は国で高齢者の増加が社会保障費用の増加をもたらし将来の財政不安につながる。それに備えてより一層の増税が必要になると、高齢者が長生きすることがあたかも社会不安の原因であるかのように喧伝している。

 

結果的に高齢者も若者も長生きを幸せなこととして祝福できなくなっている。

 

両親は自分を扶養し、援助をもたらしてくれる間は生きていてもらわなければ困るが、高齢になり負担をもたらすかもしれない存在になれば、できるだけ早くポックリと死んでもらうのが最も望ましい、という考えが意識するかしないかは別として、多くの日本人の心に染みついている。

 

子供が直接口に出すことは少ないが、高齢者がポツクリ寺に参り、できるだけ元気に過ごし死ぬときは子供たちに迷惑わかけないようにポックリ死ぬことを願うのは日本全体に蔓延する漠然とした空気の反映である。

 

これでは日本はとても幸せな国とは言えない。高齢者は自らの老後生活を心配し子供に迷惑をかけないように自らの生活を切り詰める。一方子供世代も老親が認知症になる不安や将来の自分の老後生活への不安から思い切った消費生活を満喫することができない。

 

日本政府が老後不安を煽り、それが全国民層に定着した現在、政府がどんなに旗を振っても、国民の将来不安とデフレ心理を一掃することはできない。

過大評価されすぎている経営者の高額報酬

アメリカではS&P500種指数に採用されている企業の最高経営責任者(CEO)の昨年の報酬は一般労働者の給与との格差が361倍に拡大している。

 

これについては労働者と比較し役員に対する評価が課題であり報酬が高すぎるとの批判があるが、日本でもアメリカを追随して役員報酬が高騰しつつある。

 

日本の役員報酬は2017年度で従業員平均年収の4.39倍程度とアメリカと比較すれば格差は格段に少ないが、東京商工リサーチが3月決算企業の有価証券報告書から抽出して集計した「報酬1億円以上」の役員は、240社538人と初めて500人を突破した。前年は223社466人だったので、前年を大幅に上回ったことになる。

 

役員報酬は経営者自らが提示し取締役会や株主総会で決定されるが、役員報酬引き上げの根拠があいまいだということが問題である。

 

客観的な判断材料が無いと、黒字を出している限り、自由に報酬を上げることができる。他社の役員報酬が上がれば、それを理由に役員報酬を引上げ、結果的にアメリカのように不当に経営者と労働者の報酬格差が広がることになる。

 

役員報酬引き上げの根拠にふさわしいのは生産性の上昇率である。生産性向上は正に経営者の経営努力の結果である。前年比付加価値生産性が向上した範囲内でこそ役員報酬は引き上げられるべきである。