毎年この時期になると核廃絶が叫ばれる。しかし、実現可能性は無くそもそも核廃絶運動の中心地である日本自体が核兵器禁止条約に加盟していない。
日本の核反対運動を見ていると一種の病的な反応を感じてしまう。
原爆を投下し何十万人もの一般市民を虐殺したのはアメリカであり、日本人が本来憎むべきは原爆投下という非人道的な行為を行ったアメリカである。
しかし、日本は敗戦しアメリカに占領されており、いくらアメリカを憎悪しても表立って批判することはできなかった。
現在においても、日本は安全も経済もアメリカに依存しており、表立ってアメリカの非を糾弾することは難しい。
そこで原爆で虐殺したアメリカへの憎悪は心の中に抑圧し、批判を道具てだある原爆そのものに転嫁した。核廃絶運動はアメリカへの憎悪が抑圧され、防衛機制で核への憎悪に置き換えられ昇華されたものだろう。
日本人は一度アメリカに対する自己規制を外し、批判すべきことは抑圧せず批判しないと、何時までたっても自主独立した一人前の国家にはなれない。